■具体的な名前は
差控えますが、
私の母校(大學)にかんする言葉に
「〇〇の常識は世間の非常識。
世間の常識は〇〇の非常識。」
と言う言葉があります。
客観的に見ても
若干特殊な(?)
大學を卒業している(と思っている)ため、
個人的には
当たっていると思っています。
■今回は、
大學の例を挙げましたが、
自分自身の周りでも
同じようなことは
起きているのではないでしょうか。
たとえば、仕事。
部下を持ったことがある方は、
お願いしていたものと
出来上がってきたものが
大きく異なるという体験は、
少なからず
あるのではないでしょうか。
阿吽の呼吸がつうじず
なかなか寂しい思いのときも
あることでしょう。
■仕事以外の
日常生活でも
あります。
たとえば、音漏れ。
氣がつかないのか、
そもそも
音漏れの可能性を
疑う意識がないのか、
本人に聞かなければ
わかりませんが、
音漏れを氣にするのが当たり前の人、
音漏れを氣にしないのが当たり前の人、
それぞれいます。
■より常識が
近いと思われる夫婦でも
常識の違いはあるでしょう。
身も蓋もありませんが、
夫婦と言えども
結局は他人です。
だからこそ、
フタリゴのイベント
(https://www.facebook.com/events/1301506879912919/)
のように、
夫婦でコミュニケーションを取ることが大切でしょう。
■少し話が変わりますが、
常識にかんする投稿、
意外にも(?)数多くありました。
※参考バックナンバー※
vol.89:自分の常識はお客様の非常識
http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?p=253
vol.179:私の常識はあなたの非常識!?
http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?p=377
vol.203:世間一般って、正しい?
http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?p=420
vol.219:え!? それで価値になるの!?
http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?p=441
■閑話休題。
では、
どうすれば
常識は共有できるのでしょうか。
常識は
当たり前に行っていることであるが故、
どうしても個人差がでてきてしまいます。
だからこそ、
面倒なようでも、
同じレベルを求めるのならば、
事細かに
伝える必要があるでしょう。
■常識は
人によって異なります。
だからこそ、
本当に意識を統一したいならば、
1つ1つ丁寧に
伝えていくことが
必要になるのだと思います。
このことを忘れずに
日々過ごしたいと考える次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■常識を統一するためには1つ1つ共有すること
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⇒ http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?page_id=31