■今、振返ってみると
非常に恥ずかしい限りではあるのですが、
社会人になりたてのころは
「自分が〇〇になって××を解決する」
という想いが非常に強く出ていました。
完璧主義の精神が
色濃く表れていたのだと思いますが、
「自分が想う通りの形が最善」
と思っていました。
別の言葉で言うならば、
「自力でやらなければならない」
と言ってもいいかもしれません。
■ごく最近、
上記のことに氣がついたのですが、
この原因は次の理由によるためだと考えています。
それは –
「問題を解決することではなく、
自分が解決することに
フォーカスされている」
ということ。
そして、
「『自分で解決しなければならない』
という考え方はエゴではないか」
ということ。
■自分のなかで
様々な分野に問題意識を抱えています。
たとえば、
「(やりたくない)長時間労働」
「(資産はあるけれどもやっぱり多い氣がする)日本の負債」
「地球温暖化」
を解決できたらいいな、と考えています。
しかしながら、
すべての分野において
解決できるための知識・経験を積むとするならば、
自分自身が勉強するだけで
数年はあっという間に費やしてしまうでしょう。
いくら時間とお金があったとしても、
一生の間に解決できる分野は限られてしまうでしょう。
(「そもそも解決できるのか?」
という問いは伏せておきましょう)
しかしながら、
この考えは、自分で解決することが
前提となっているからこそ生まれるもの。
自分で解決するという
「欲」
の表れとも言えるでしょう。
■だとするならば、
すでにそれぞれの分野で一流となっている方々と協力して
問題解決に取組めばいいだけのこと。
「他力」
をお借りして解決すればいいのでしょう。
この形が、所謂
「夢」
と言えるでしょう。
■ただ、
一方で人間には欲があります。
突き詰めて考えると、
「自分はこういう社会の方がいいと思う」
というのも
「自分の」想いを表現しているという点では
一種の欲と言えるかもしれません。
自分自身の足でしっかり立って
行動されている方でも、
最終的なゴールは
「自分が楽な生活を送りたい」
という思いで動いている方もいらっしゃいます。
「利他」
という言葉は非常に大切ですが、
一方で
「聖人君子みたいになれるのか、いるのか」
と問われると
なかなかいないように感じます。
また、
欲が最大のエネルギー源と言っても
過言ではないかもしれません。
「欲」
と
「夢」 –
「自分がこうなりたい」
と
「社会をこうしたい」
のバランスを
うまく取ることが大切なのでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■自分が解決したいのか、問題を解決したいのか
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