視点提供録 vol.510:やっと(少し)わかった「やり切る」ってこういうこと!?

平昌オリンピック真っ只中ですね。

4年間 – 選手によってはそれ以上の期間を準備に費やし、本番を迎えていることでしょう。

選手の皆さまには最高のパフォーマンスを発揮していただきたいものですね。

 

さて、オリンピックに限らずですが、スポーツ選手の口からこのようなコメントが出てくることをよく耳にするように思います。

それが、

「やり切った」

という言葉。

 

特に、

「やり切ったので代表は引退します」

とか

「やり切ったのでオリンピックは目指しません」

とか

「やり切ったので現役を引退します」

が多いように感じています。

 

では、この

「やり切った」

とはどのような感覚なのでしょうか。

 

『三省堂 大辞林』によると、

 

——————————ここから——————————

 

物事を最後までする。

やりとげる。

 

——————————ここまで——————————

 

という意味とのこと。

 

それでは、

「物事を最後までする」

「やりとげる」

はどのような意味なのでしょうか。

 

この意味にかんして、ふと思ったことがあります。

それが、

「もう一度同じことに取組みたいか」

が基準になるのではないか、ということ。

 

たとえば、オリンピック選手を例に挙げてみましょう。

オリンピックに出場するまでには、物凄く長い道程だと思います。

しかも、その過程は、ゆずの『栄光の架橋』のごとく、

「決して平らな 道ではなかった」

ことと思うのです。

もう一度繰返すことは相当大変なことでしょう。

この道をまだ進む氣持ちがあるか、それとももう歩みを止めるか、これが分かれ目なのだと思うのです。

 

オリンピック選手とまではいかなくても、私たちも日常でも

「もういいかな」

と思うか否かが分岐点。

これで

「もういいかな」

と思ったら、

「やり切った」

と言えるのかもしれませんね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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【本日の視点】

 ■「やり切る」とは「同じ道はもういいかな」と思うこと

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