視点提供録 vol.524:自分自身の感覚を考察してみた

読者の皆さまは、自分の感覚をどのくらい信じていらっしゃるでしょうか。

 

「自分を信じ切っている」

 

方から

 

「自分をまったく信じることができない」

 

という方まで、幅広くいらっしゃることでしょう。

 

私自身も自分の感覚を貫きたいところですが、なかなか信じ切ることができていません。

 

このため、自分の感覚を信じて疑わない(ように見えるだけかもしれませんが)方は正直凄いなと思います。

 

なぜ信じ切ることができないのか – この理由は

 

「他人との感覚に大きなズレがある」

 

から。

 

具体的に考えてみましょう。

 

たとえば、味覚。

 

誰かと一緒に食事をしていても

 

「おいしい」

 

に共感できないことが非常に多い。

(飲食店の方、ごめんなさい)

 

逆に、

 

「まずい」

 

も共感できないことが非常に多い。

 

元々、

 

「食事は栄養補給の時間」

 

と割り切っている側面もあるため、味への興味があまりなかったことも少なからず影響はあると思いますが・・・

 

このため、一般的な味覚があると仮定し、

 

おいしい・・・1/3
ふつう・・・1/3
まずい・・・1/3

 

だとするならば、私は

 

おいしい・・・5/100
ふつう・・・90/100
まずい・・・5/100

 

という感覚です。

 

おそらく、感覚が反応するまでのスイッチが他の人よりも入らないのだと思うのです。

 

だからこそ、同じ食事を繰返しがちな男性脳の影響も少なからずあるとは思いますが、

 

「おいしい」

 

と感じた食べ物は繰返し食べがちです。

 

(あ、そうそう。女性の皆さん、男性がデートで同じお店に何回も連れて行っても、ただ本能に従っているだけのところがあるので、あまり責めないであげてくださいね笑)

 

また、

 

「野菜本来の甘味がするね」

 

とか

 

「この水はおいしい」

 

などの会話にも、実は付いていけてない。

 

とりあえず同意しているだけです(すみません汗)。

 

学生時代、たいへんありがたいことに、親の手作り料理がほとんどで、外食も少なく、お菓子もあまり食べなかった(と思う)ので、食品添加物の味に慣れてしまっている可能性は低いと思うのですが・・・

 

このような感覚のため、

 

「自分自身、他人と相当ズレているな」

 

と思うことは少なくありません。

 

尤も、欅坂46の『サイレントマジョリティー』ではありませんが、

 

「(良くも悪くも)群れていなくてよかった」

 

と思うこともありますが・・・

(群れることが悪いわけではないです。それぞれメリットデメリットがあります。念のため)

 

だからこそ、

 

「根拠に乏しいが好ましいと思われる考え方」

 

をなかなか強く推奨することができません。

 

たとえば、よく言われている

 

「掃除をすると思考が整理整頓される」
「細かいところに氣がつく人の方が社会人としての成績はよくなる」

 

をお勧めすることができません。

 

「絶対いい!」

 

とは言えず、

 

「この方がいいと思うよ」

 

という程度。

 

「自分の感覚を押し付けるなんて・・・」
「そもそも自分の感覚は正しいのか?」

 

と思うことが少なくありません。

 

自分自身の軸と呼ぶことができるような、ぶれない思考がないわけではありませんが、一貫した行動に移せるような強い軸を形成するにはまだまだ時間がかかるのだと思われます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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【本日の視点】
■自分自身の感覚を信じてもいいのかもしれない

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