視点提供録 vol.468:天秤に乗せるべき分銅は「主観」と「客観」のちょうどいい重さ

■物事の分け方には
いろいろな分け方が
あると思います。
 
たとえば、
 
「感情」と「論理」
「主観」と「客観」
「実践」と「理論」
 
がありますね。
 
■そして、
人によって
これらのどちらが強いかは
あると思います。
 
私とお話させて
いただいた方は
同意していただけるかと思いますが、
私は
 
「論理」
「客観」
「理論」
 
が強いです。
 
■さて、
私事で恐縮ですが、
ここ最近、
 
「もう一方を重要視しましょう」
 
という出来事が
増えてきています。
 
つまり、
 
「感情」
「主観」
「実践」
 
ということ。
 
■たとえば、
現在拝読中の
 
心屋仁之助著
『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい。』
 
に、このような文章があります。
 
少し長いのですが、
引用いたします。
 
————— 引用ここから —————
 
「自分が困っていることを相談する」とは、「自分の弱みを相手に見せる」ということです。
「弱み」とは、自分の「本音」の部分であり、ここを明かさないと、本当の意味で相談に乗ってもらっている意味がありません。
いくら相手が親身にアドバイスしてくれても、
「ごめんね、でもそれ、私の本当の悩みじゃないから、あんまり役に立たないんです」
ということになる。
 
つまり、「弱みを受け取ってもらえない」という経験が長かった人は、他人に本音を明かせないから、
「人に相談に乗ってもらって、問題をスッキリ解決する」
ことができないのです。
 
————— 引用ここまで —————
 
■これらの箇所を読んで、
お恥ずかしながら
 
「まさに、そのとおり」
 
と思っていました。
 
「相手に合わせる」
 
とか
 
「揉め事を起こさない」
 
とか
 
「利他の精神」
 
とか、
 
「とりあえず自分は脇に置く」
 
が基本姿勢となっていました。
 
否、
自覚はしていたことが
炙り出された感覚です。
 
■だからこそ、
 
「正解を続ける」
 
とか
 
「ルールを守る」
 
とか
 
「事実は何か」
 
とか、
このようなことを
重視してきました。
 
「正解」
「ルール」
「事実」
 
には
主観や感情はありませんので。
 
尤も、
これはこれで
必要であり、
重要なのですが・・・
 
■とはいえ、
主観や感情がないと
不都合もあります。
 
たとえば、
 
「話がおもしろくない」
「意見が少ない」
「自分の氣持ちがわかりにくい」
 
などがあるでしょう。
 
これら一連の出来事からは
 
「もう少しバランスを取ってみては」
 
このような
メッセージがあるように
感じています。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
 
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【本日の視点】
 ■主観と客観のバランスを取る
 
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