■「当たり前であることに感謝しましょう」
という言葉をお聞きになったことがある方は
少なくないと思います。
人間は良くも悪くも
ある事象が続いているとそれに慣れる生き物。
事象の例を挙げると、
「雨風をしのげる家に住めること」
「1日3食食べられること
(食べ過ぎ説がありますが、
とりあえず脇に置いておきます)」
「電車が大きな遅延もなく動いていること」
があります。
この状態が続いていると、
この状態でないことに不満を持ってしまいます。
たとえば、
「数分電車が遅れただけでイライラを隠せない人」
がいるでしょう。
なかには、朝夕に電車が混雑していることに
不平不満を持つ人もいます。
このような方を見ると
心の余裕のなさに悲しい氣持ちを感じてしまいます。
尤も、電車には時刻表があるため、
時刻表に従って運行することが原則なのは
言うまでもありませんが。
■このような
当たり前の状態が続いているときこそ、
当たり前に感謝したいもの。
ただ、
世の中を見渡すと、
当たり前に感謝する理由が
悲しい理由だったりします。
それが、
「当たり前以下の状態が続いているからこそ
当たり前に感謝する」
という標準よりも下の状態だからこそ、
標準に感謝するというもの。
■少し話が逸れますが、
法政大學大學院教授の
坂本光司先生の
「日本でいちばん大切にしたい会社」
のような会社が増えてほしいと
切に願っています。
(https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3…/…/4860632486)
どの会社も素晴らしい取組みをされているのですが、
私の主観に大いに基づくならば
「普通であってほしい内容」
です。
むしろ、
この感覚が普通と思わざるを得ない現状が
異常ではないでしょうか。
具体的には、
「サービス残業が一般的」
「長時間労働が一般的」
「上司が絶対で部下は意見を出してはいけない」
「会議では意見が出ない」
「会議の結論がまとまらない、まとめられない」
「事前準備が不十分」
「時間を守らない」
といったことが現実に起きているもの。
悲しいことに
「一般レベルがレベル低過ぎるが故に
普通レベルがすごい」
という異常な世界が拡がっているように感じています。
別の言い方をすると
「あるべき水準にないことが一般的であるがために
あるべき水準に達している『普通の』状態が
『素晴らしい』状態になっている」
ということ。
■「当たり前に感謝する」
これは非常に大切な行動です。
「最低レベルに達していないからこそ
最低レベルに感謝」
ではなく
「最低レベルが日常的に受取れているからこそ
最低レベルに感謝」
言い換えると
「相対的感謝ではなく絶対的感謝」
という世界が一般的になるよう
働きかけていきたいところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■比較して感謝氣持ちではなく絶対的な感謝の氣持ちを持つ
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