視点提供録 vol.271:認知的不協和に負けない心

■非常に主観的ではありますが、
最近の風潮として
「ルールを守っている方がおかしい」
という感覚があるように感じます。

たとえば、
「法律や倫理を守っている方が異常」
は少なくないように思います。

「法律はそうかもしれないけれども、
自分自身はそう思わないから守らない」
とか
「自分自身がよければ相手の氣持ちなんぞ知らない」
という考え方が
悲しいことに広まっているように感じてしまいます。

中學生や高校生ならば
「不良 = カッコいい」
という方程式が成立するかもしれませんが、
大の大人がそれをやると
非常にみっともない。

 

■具体例を挙げると、
「電車内の音漏れ」
「遅刻しても悪氣がない」
「緊急車両が来ていても氣にしない」
があると思います。

他には、
高速道路では速度制限がありますが、
有名無実と言ってもいいかもしれません。

高速道路においては
速度規制を守っている運転手の方が異常で
速度違反をする方が正常になっていると言っても
おかしくはないでしょう。

尤も、
個人的には高速道路の制限速度は
上げても問題ないように感じますが
またそれはルールを守る守らないとは別の話。

 

■現在は、
「法や道徳を守ることが正しいが、
守らない方が主流」
という異常事態が発生していると言っても
過言ではありません。

そして、
「法律を守ることが正しい」

「守らない方が一般的」
というような
矛盾する2つ以上事象があるときの心理状態を
「認知的不協和」といいます。

この状態が頻繁に発生すると
自分自身が正しいはずなのに
誤っている錯覚に陥り、非常に混乱します。

「自分だけよければいい」
「思い遣りを持たないことが普通」
「煙草の煙を平氣で巻き散らかす」
「歩きスマホ・自転車スマホで前を全然見ていない」
「満員電車で降りる人のことを考えて
ホームに降りようとしない」

このようなことが当たり前となってくると、
他人への思い遣りを持って接する私自身が
(これでも接しているつもりです)
変人になるかもしれません。

そして、
「このまま独りよがりな大人が増えていくのか」
と思うと、
将来に希望が見いだせにくくなってしまいます。

 

■言葉遣いはともかく

「ダメ大人の教育」

「ダメ子が育つ」

「ダメ大人になる」

「ダメ大人の教育」

という
デフレスパイラルのような
絶望的な状況になる可能性は否定できません。

だからこそ、
このような暗い将来ではなく
明るい未来を描くためにも
本物の教育の場を設けることが
もしかしたら私のこの世に於ける
役割なのかもしれないと思うことがあるのです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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【本日の視点】
■認知的不協和に負けず、正しい道を歩むこと

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