視点提供録 vol.263:「無我の境地」への果てしない道程

■幼少期より
自己中心的な考え方は行わないよう
躾けられてきたと思っていましたが、
想像以上にまだまだ躾が足りない、
ということを認識させられます。

たとえば、
「○○したい」
という想いがあったとして、
この想いが実現されたとしても
私自身しか幸せにならないならば、
自己中心的な考え方と言えるかもしれません。

具体的には、

「お金が『消える』生活を送りたい」

とか

「時間・場所にとらわれない生き方をしたい」

とか

「代表として責任ある地位を全うしたい」

とか、考えることはあります。

しかしながら、冷静に考えてみると、
この考え方は仏教用語(だったと思います)でいうところの

「自我」

つまり、

「私は私。あなたはあなた」

という、
自分と相手を分けた考え方をしていることと
類似していると思います。

 

■たとえば、
何か社会に貢献するスキルを持っているとしても、
社会に貢献することが目的であるならば
わざわざ代表である必要はありません。

代表に拘ることは

「見栄」

でしょう。

極端な話、
自分自身が組織に所属しているとして、
その組織の目的に共感しているならば、
地位は関係ないはず。

尤も、
男性は脳のつくり上
肩書きで生きている生き物であるため、
地位を追いかけることは
本能的には間違っていないのですが・・・(笑)

 

■そうすると、
大切になってくる考え方は

「無我」
「無分別智」

という考え方。

「あなた = わたし」
「あなたが大切に想うことは、私も大切に想う」

ということ。

相手を第一に想うことで、
自分自身が消えていく

「無我」

ということです。

 

■実際問題として、

「私は自分のためにこれを達成したい」

という考え方にたいしては

「ふ~ん、そうすれば」

という人も少なくないでしょう。

しかしながら、

「私は世の中のためにこれを達成したい」

という考え方にたいしては

「できること手伝うよ」

という

「他力」

を得やすいもの。

まだまだ「自我」が多い身ですが、
一歩一歩「無我」に向けて
自分自身を躾けていくしかないのだと
思う次第です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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【本日の視点】
■「無我の境地」に向けて日々自分自身を躾けること

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