■幼少期より
自己中心的な考え方は行わないよう
躾けられてきたと思っていましたが、
想像以上にまだまだ躾が足りない、
ということを認識させられます。
たとえば、
「○○したい」
という想いがあったとして、
この想いが実現されたとしても
私自身しか幸せにならないならば、
自己中心的な考え方と言えるかもしれません。
具体的には、
「お金が『消える』生活を送りたい」
とか
「時間・場所にとらわれない生き方をしたい」
とか
「代表として責任ある地位を全うしたい」
とか、考えることはあります。
しかしながら、冷静に考えてみると、
この考え方は仏教用語(だったと思います)でいうところの
「自我」
つまり、
「私は私。あなたはあなた」
という、
自分と相手を分けた考え方をしていることと
類似していると思います。
■たとえば、
何か社会に貢献するスキルを持っているとしても、
社会に貢献することが目的であるならば
わざわざ代表である必要はありません。
代表に拘ることは
「見栄」
でしょう。
極端な話、
自分自身が組織に所属しているとして、
その組織の目的に共感しているならば、
地位は関係ないはず。
尤も、
男性は脳のつくり上
肩書きで生きている生き物であるため、
地位を追いかけることは
本能的には間違っていないのですが・・・(笑)
■そうすると、
大切になってくる考え方は
「無我」
「無分別智」
という考え方。
「あなた = わたし」
「あなたが大切に想うことは、私も大切に想う」
ということ。
相手を第一に想うことで、
自分自身が消えていく
「無我」
ということです。
■実際問題として、
「私は自分のためにこれを達成したい」
という考え方にたいしては
「ふ~ん、そうすれば」
という人も少なくないでしょう。
しかしながら、
「私は世の中のためにこれを達成したい」
という考え方にたいしては
「できること手伝うよ」
という
「他力」
を得やすいもの。
まだまだ「自我」が多い身ですが、
一歩一歩「無我」に向けて
自分自身を躾けていくしかないのだと
思う次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■「無我の境地」に向けて日々自分自身を躾けること
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