■「我慢することは美徳である」
この言い回しを聞いたことがある方は、
少なからずいらっしゃるかと思います。
■私自身、
この文言に完全に同意しているわけではありませんが、
「若い時の苦労は買ってもせよ」
という格言もあるように、
忍耐も必要なことだとは考えております。
■だからでしょうか、
我儘に振舞っている人を見ると、
我慢していないようで、
あまりいい印象を受けません。
尤も、
「たまたま我儘に振舞っていた」
だけかもしれませんし、
「我儘が許せない」
という時点で
私が我儘なのかもしれませんが(笑)
■また、
我慢を良しとする精神性のため、
「相手が喜ぶなら自己の犠牲を払ってもいい」
と考える傾向があります。
たとえば、
前任者で抜け漏れがある仕事が回ってきたときに、
自分自身で修正することがあります。
本当ならば、
前任者に差戻すことが正しいのかもしれませんが、
嫌われたり、
所謂「クレーマー」の類になりたくないため、
自分で直せそうならば直してしまいます。
■さて、
千利休(だったと思います)の言葉に
「主客一体」
という言葉があります。
「禅に由来する言葉で、
客のおもてなしというのは
招くあるじが一方的に行うものではない。
招く側(ホスト)と招かれる客(ゲスト)が協力し、
ともに一体となってつくりあげるものという意味」
佐々木俊尚著『キュレーションの時代 – 「つながり」の情報革命が始まる』(p.158)
■日常生活に置き換えて考えるならば、
買い手が売り手よりも立場が上ではなく、
売り手が書いてよりも立場が上でもなく、
買い手も売り手も対等ということでしょう。
高級レストランのドレスコードは
一例と言えると思います。
■ここで大切になってくることは、
「言うところはきちんと言う」
ことではないでしょうか。
上記の例で例えると、
高級レストランでTシャツ短パンの男性は
きちんと断ることだと思います。
■そして、
上記に加えて重要なことは、
「義務を果たした上での権利を主張すること」
という前提ではないでしょうか。
高級レストランの場合、
高級レストランたるおもてなしをするからこそ、
客も選べるのではないでしょうか。
■さて、
権利と義務が出てきましたが、
人によって何が権利で何が義務かは異なるもの。
たとえば、
私自身に絵を描くことは求められていません。
残念ながら絵心がありません(笑)
しかしながら、
ファッションにかんすることは求められているわけです。
■また、
往々にして、
自分自身が「主」となり価値提供したいことは
労力が低いながらも高い価値を提供できるもの。
たとえば、
私にとって絵を描くことは労力を費やしますが、
ファッションは義務を果たすための労力が低いです。
(決して手を抜いているという意味ではありませんよ笑)
参考バックナンバー:
vol.146:熱中は「労少なくして功多し」
http://sonshitemoiinkai.sakura.ne.jp/wp/?p=329
■そして、
このような分野は
「もっともっと価値を提供したい」
と思うことが多いでしょう。
このように、
自分自身が「主」として貢献した分野を見つけ、
お互いに価値を交換し合うことが、
より素晴らしい世界に繋がってくるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■「主客一体」の「主」となる分野で相互価値交換を
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