「世の中に大きく貢献している人と小さく貢献している人、どちらになりたいですか?」
と聞かれたら、大多数の方が前者と答えるでしょう。
斯く言う私も、前者になりたいと思っていますし、ゆくゆくはなりたいと思っています。
まだまだ修行が足りないので、いつになるかはわかりませんが・・・
さて、私は一介のスタイリストとして従業員以外の働き方にも片足を突っ込んでいます。
ビジネスとしてスタイリストという個人としても価値を提供しようとしています。
平成進化論で著名な鮒谷さん(http://www.2nd-stage.jp/)の言葉を借りるならば、
「有用性の世界」
で勝負しているわけです。
しかしながら、この世界だけで生きているのは非常に危険だと言えるでしょう。
なぜなら、
「有用性がなくなった瞬間に生きられなくなる」
から。
たとえば、将棋のプロ棋士は原則として1年間に4人しかなることはできません。
奨励会という言わば修行の場で150人ぐらいのプロ棋士の卵が修行を行っていますが、このなかのたった4人だけです。
しかも、年齢制限があり、原則として26歳までにプロ棋士になれなければ奨励会を去らなければなりません。
極端な言い方をするならば、
「あなたはこの分野では価値提供できません」
と烙印を押されるわけです。
プロになるために全身全霊を込めて打込んできた人にとって、目標を強制的に取られることは自分自身のアイデンティティーを喪失するに近いものもあるでしょう。
(尚、現在は、奨励会を退会してもプロ棋士になるチャンスがあることを付け加えておきます)
さて、私自身も、いつ同じような立場になるかはわかりません。
「人事を尽くして天命を待つ」
ではありませんが、いつ価値提供できなくなるかは読むことはできません。
このときに必要となってくることが、鮒谷さんの言葉を借りるならば
「無用の世界」
またの名を
「贈与の成り立つ世界」
です。
わかりやすく言うならば、迷惑を一方的にかけても許される間柄、でしょうか。
半永久的に頼りっぱなしは困りものですが、一時的に頼り頼られはよくあるもの。
この関係性は非常に重要でしょう。
さて、「働かざる者食うべからず」という諺があります。
文面だけ見ると、「働けない人は食事をしてはいけない」と取れます。
この諺がある故に、私自身なかなか無用の世界を素直に是とできないところがありました。
しかしながら、この諺の真意は
「(働けるのに)働かざる者食うべからず」
です。
自分自身が価値提供できなくても対価をいただいてもいいのかもしれません。
本当の自立とは
「有用性の世界」
と
「無用の世界」
をバランスを持って行き来できる「自律」した人のことを示すのではないかと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【本日の視点】
■「有用性の世界」と「無用の世界」両者のバランスを取れてこそ真の「自律」
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