■読者の皆さまは
誰かに何かを依頼したり、
逆に
誰かに何かを依頼されたりすることは
少なからずあると思います。
私も少なからず
(ときどきキャパオーバーぐらい笑)
依頼されることがあります。
■できることならば、
すべての依頼に
応えてあげたいところではあります。
しかしながら、
現実的に考えてみると
資源は有限であるため、
すべてに応えるのは
非現実的なことでしょう。
■また、
人間である以上、
忘れてしまうものは
仕方ないもの。
残念ながら
すべてを
記憶することは
できないでしょう。
(正確には、
「記憶できない」
ではなく
「思い出せない」
ですが)
■さて、
この、
「忘れている」
にも
2通りあると思います。
1つ目が、
「依頼されたことを
忘れている」
というパターン。
そして、
2つ目が、
「教えてもらっても
わすれている」
というパターン。
■上述のとおり、
人間である以上、
すべてを
覚えていられることは
不可能でしょう。
このため、
1つ目のパターンは
まだ許せるもの。
■しかしながら、
できることなら
2つ目のパターンは
避けたいもの。
極端な話、
2つ目は
一度自分でできていること。
「専門的な言葉で
意味がわからない」
ならともかく、
「手順を手順どおりにできない」
はできる限り
回避すべき事項でしょう。
「依頼したら大丈夫」
ということが、
「依頼しても大丈夫ではない」
ということになります。
尤も、
自分のことを
棚に上げている側面があるのは
否定できませんが・・・
■別の例では、
車を運転するときに
「赤信号で止まる」
というのは
「守らなければならないこと」
です。
「車を運転するときのルール」
という発信を
ドライバーという受信者が
きちんと守るからこそ、
コミュニケーションは
成り立つもの。
■発信者がどんなにがんばっても
受信者が受取るつもりがなければ
一方通行のコミュニケーションでしか
ないでしょう。
「依頼されたことを
依頼どおりにきちんと行う」
このことが
コミュニケーションの成立に
かかわると
改めて感じた次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■コミュニケーションには発信と受信の双方の協力が必要
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