■私のなかで
頻繁に起きる氣づきのパターンがあります。
それは –
「あのときのメッセージはこういう意味だったのか」
という形。
言われたときは「ふんふん」という感じだったけれども、
何かのきっかけで思い出して、
「あ、こういうことか」
と氣づくことは、
皆さまもご経験にあるのではないでしょうか?
■先日、
ミヒャエル・エンデ著『モモ』
(https://www.amazon.co.jp/dp/4001141272)
を読了しました。
本の大まかな内容は覚えているのですが、
氣づきはまた別物。
(内容はネタバレになるため伏せておきます)
本を読んだ感想としては
「現代社会は情報化社会となり、
スピードが重視されている社会になっている。
このため、相手を出し抜き、
早い者勝ちが勝者の条件となっている。
そして、
自分の利益だけを考えればいい
という考え方が蔓延しているのではないか。
(本来はあるべきであろう)
所謂『公益』が目的ならば
『自分だけよければそれでいい』
という考え方にはならないのではないか。
そして、
自分だけよければいいという考え方が広まると
(極端に言えば)
『金の切れ目が縁の切れ目』
という悲しい関係性が出来上がらなくもない。
しかしながら、
縁を切った人を一方的に責めるのではなく、
自分自身がこのような関係性しか
築いていなかっただけなのかもしれない。
もちろん、
『金の切れ目が縁の切れ目』
はいい間柄ではないと思うが、
自分自身にも顧みるところがないか
反省する必要はあるだろう」
という感想です。
■こう感想を記し
改めて自分自身の行動を振返ってみると、
自分以外のせいにしていることが
少なくないと思います。
全知全能の神ではないため
すべてが自己責任とは思いませんが、
ほとんど自己責任とは思っています。
この姿勢を忘れないように
心がけていく次第です。
そして、
このような氣づきを得るためにも、
何か単純作業をする時間も
大切なのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■ふとしたときに、意外な氣づきがある
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