視点提供録 vol.278:ふとしたときに氣づく、あのときのメッセージ

■私のなかで
頻繁に起きる氣づきのパターンがあります。

 

それは –
「あのときのメッセージはこういう意味だったのか」
という形。

 

言われたときは「ふんふん」という感じだったけれども、
何かのきっかけで思い出して、
「あ、こういうことか」
と氣づくことは、
皆さまもご経験にあるのではないでしょうか?

 

 

■先日、
ミヒャエル・エンデ著『モモ』
https://www.amazon.co.jp/dp/4001141272
を読了しました。

 

本の大まかな内容は覚えているのですが、
氣づきはまた別物。

 

(内容はネタバレになるため伏せておきます)

 

本を読んだ感想としては

 

「現代社会は情報化社会となり、
スピードが重視されている社会になっている。

 

このため、相手を出し抜き、
早い者勝ちが勝者の条件となっている。

 

そして、
自分の利益だけを考えればいい
という考え方が蔓延しているのではないか。

 

(本来はあるべきであろう)
所謂『公益』が目的ならば
『自分だけよければそれでいい』
という考え方にはならないのではないか。

 

そして、
自分だけよければいいという考え方が広まると
(極端に言えば)
『金の切れ目が縁の切れ目』
という悲しい関係性が出来上がらなくもない。

 

しかしながら、
縁を切った人を一方的に責めるのではなく、
自分自身がこのような関係性しか
築いていなかっただけなのかもしれない。

 

もちろん、
『金の切れ目が縁の切れ目』
はいい間柄ではないと思うが、
自分自身にも顧みるところがないか
反省する必要はあるだろう」

 

という感想です。

 

 

■こう感想を記し
改めて自分自身の行動を振返ってみると、
自分以外のせいにしていることが
少なくないと思います。

 

全知全能の神ではないため
すべてが自己責任とは思いませんが、
ほとんど自己責任とは思っています。

 

この姿勢を忘れないように
心がけていく次第です。

 

そして、
このような氣づきを得るためにも、
何か単純作業をする時間も
大切なのではないでしょうか。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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【本日の視点】
■ふとしたときに、意外な氣づきがある

 

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