人間である以上、イライラしたり、不愉快な氣持ちになることは少なからずあると思います。
本田健さん(https://www.aiueoffice.com/)の著作に「ストレスがない人生はやってこない」という記述があったかと思いますが、100%嫌なことがない人生はおそらくないでしょう。
私自身も聖人君子のような高い精神性を持ち合わせていたいとは思うものの、嫌な氣持ちになることは頻繁にあります。
「心に溜まっているものを吐き出したい」と思うことはたまにはあるものの、人にたいして実際に言うことは殆ど行ってきていないと思います。
共感の意味での愚痴はありますが、自ずから積極的には言っていないと思います。
特に、「面倒くさい」は使っていないはず。
なぜなら、
「愚痴言ったところで、物事は先に進まない」
し、
「人を悪く言ってはいけない」
という教えを受けていたり、
「悪口を言うと言霊となって悪い結果が返ってくる」
ということをなまじっか知っているから。
最近の賑わせている話題で例えるならば、
「不倫に興味はあるが、その後引き起こされる結果を知っているため使わない」
と言ったところでしょうか。
この現象を回避する方法として、
「腹が立たないようにする(事前回避)」
とか
「腹を立てないようにする(事後対応)」
とか
「腹が立っても我慢する(忍耐)」
と言った手段を採ってきていました。
別の言い方をすれば、
「感情に蓋をしてきた」
という感じでしょうか。
この影響でしょうか、感情よりも理論の方が発達しているように思います。
しかしながら、人間を突き動かす強烈なエネルギーは得てして(というよりも、ほぼすべて)感情から発現するもの。
感情なくして圧倒的な行動力は生まれないでしょう。
例えるなら、現在は、蛇口に強烈な栓をかなりきつく締めて感情という水が流れてこないようにしているのでしょう。
ときどき、栓を締めても水の勢いに負けて少し水が出てくるぐらいですが・・・
この「感情という水」が人並みに正常に流れ出てきて、蛇口の開け閉めが自由自在になったとき、今以上の安定した精神性が得られるのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
【本日の視点】
■感情という水を上手に供給することが大切
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