視点提供録 vol.134:學歴についてふくはらが考えること

読者の皆さまにとって、學歴とはどのようなものでしょうか?

「エリート官僚へのチケット」

(官僚はほとんど東大卒ですね)

「マッキンゼー新卒で応募する権利」

(マッキンゼーの新入社員はほぼ100%東大大学院・京大大学院・東大・京大で構成されるとどこかで読んだ記憶があります)

「安定した終身雇用への入口」

と答えはいろいろあると思います。

また、

「そもそも考えたことがない」

という方もいらっしゃるかもしれません。

ふくはらなりの回答はありますが、折角の機会ですので、少し考えてみましょう。






自分なりの回答はできましたか?

では、私の回答を。

私は

「そのとき頑張った証」

と考えています。

「将来安定への権利証」

ではないと考えています。

 

実際、

「學歴がある = 仕事できる」

ではありませんし、大學のとき東大生と定期的に交流する機会がありましたが、

「東大生と言えども同じ人間だな」

と感じていました。

『金持ち父さん』シリーズで著名なロバート・キヨサキ氏も、

「いい大學を出ていい企業に就職して終身雇用の下働くことは、貧乏父さんの考え方」

というような記述を著作にてされていたかと思います。

 

ただ、學歴が意味がないものかというと、そのようなことは全くないと考えています。

たとえば、學歴と知的な能力は正の相関関係があると感じています。

また、名前は伏せますが、ある経営者は大學に行かずに起業して、後で苦労することになり、一所懸命勉強したそうです。

こう考えると、學歴はすべてではないけれども、あるに越したことはなさそうですね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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