視点提供録 vol.522:尊敬できる人は〇〇な人という解釈もなかろうか

読者の皆さまは尊敬できる人はいらっしゃるでしょうか?

 

「いる」

 

という方も

 

「いない」

 

という方もいらっしゃるかと思います。

 

最近は、

 

「いない」

 

という方の方が多いかもしれませんね。

 

「あなたはどうですか?」

 

という質問が聞こえてきそうです(え!? 幻聴!?)。

 

この答えは

 

「いない」

 

です。

 

「尊敬できる人がいないって驕っているのか」

 

と思われる方もいらしゃるかもしれません。

 

そんなことはありません。

 

きちんと理由があります。

 

 

 

ここで、「尊敬」の定義をみてみましょう。

 

三省堂『大辞林』によると、

 

「人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと。」

 

とのこと。

 

一方、私自身の尊敬の意味は少し異なるところがあります。

 

三省堂『大辞林』の意味に加筆修正するとこうなります。

 

それが

 

「人格・識見・学問・経験などの(すべてにおいて自分自身より)すぐれた人を、とうとびうやまうこと。」

 

という意味です。

 

簡単に言うと、

 

「敵わないと思う人」

 

ということです。

 

 

 

もちろん、特定の分野において敵わないと思う人はたくさんいます。

 

たとえば、サッカーではジダンやクリスティアーノ・ロナウド、メッシには敵いません。

 

囲碁では井山裕太七冠には敵いません。

 

(将棋は・・・羽生さんに勝てる可能性はゼロではないと思いたい笑)

 

しかしながら、すべてにおいて「負けた」と思う方は今のところ存じておりません。

 

この先も知ることはないと思います。

 

これは、決して自分自身に自信があるとかそういうわけではありません。

 

人間である以上、どこかしら不完全なところがあるものという前提です。

 

重箱の隅をつつくようなところまで見れば、何かしら勝てないところがあるでしょう。

 

「自分自身に完全に勝利できる人などいるわけがない」

 

とわかっているつもりではいます。

 

だからこそ、

 

「誰も尊敬できないというのは違う」

 

とも感じております。

 

しかしながら、こういう「尊敬」という解釈があることも悪いことかというと、必ずしもそうではないと思います。

 

何かしらの参考になれば幸いです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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【本日の視点】
■「すべてにおいて敵わない人 = 尊敬できる人」という解釈をしてみる

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