■私は
「受取る」
という行為が苦手です。
たとえば、
誰かから
「手伝うよ」
と申出をいただいても
「ありがとう。
でも、今は大丈夫。」
と断ってしまう性分です。
小学生のとき
「電子辞書あげる」
と言われても、
もらわなかったという伝説(?)もあります。
■世の中に
自ら働きかけようとしている側にいると
「無料の裏には有料のものがある」
とか
「フロント商品」
「フック商品」
と呼ばれる
「お試し」
的な商品やサービスの裏には
「バック商品」
という
「本当に売りたい商品」
があることを知ってしまっているからか、
「こういう課題を解決する商品やサービスあるよ」
と提案をいただいても、
「自分の商品やサービスを売りたいだけでしょ」
という穿った見方をしてしまいます。
一方で、
私自身は
「価値提供したくてしたくて仕方がない。
しかし、受取り手がいない。」
という状況。
冷静に考えてみると、
与える側と受取る側が入れ替わっているだけで、
実態は同じだなと思います。
■「受取る」
という行為は大切な行為ですが、
「受取る」
ことは
抽象化すると
「他人の行為を受入れる」
ことではないでしょうか。
社会人は
「他人にレールを敷いてもらう」
ことではなく
「自分でレールを敷く」
ことが求められれています。
このため
「受取る」
という一種の
「他人にレールを敷いてもらう」
という行為が
なかなか受取れません。
■同様に、
自分が提供するサービスにたいしても、
同じサービスを提供している方々と
同じ金額を提示することに
躊躇いを感じています。
たとえば、
「20代・30代男性のオフの日ミニマリストファッション入門セミナー」
(https://ssl.form-mailer.jp/fms/79247d84473538)
も、
投資金額・時間にたいして
5,000円は安いなと思っています。
実際、
「本代」
やら
「本を読む時間代」
やら
「リサーチ時間代」
やら
「アイテム代」
やらを考慮すると、
5,000円はすぐに元が取れると思っています。
自分で金額設定を行っておりますが、
堂々と受取ることには
まだ抵抗があります。
■では、
なぜ対価を堂々といただけないのか。
私が思うに
「苦労していないのにお金をいただいてはいけない」
「自分にとって簡単にできることでお金をいただいてはいけない」
という思いがあるのではないかと思います。
実際、
「シンプルなコーディネート」
「物事の解釈を提供すること」
「法人経理」
などは
労せずして行うことができます。
そして、
世の中は、この
「労せずして行えること」
をお互いに行う構造になっていると思います。
また、
このような世の中であってほしい
とも思っています。
それでも尚、
受取るのが苦手という
現実があります。
■四書五経の四書
(『論語』『大學』『中庸』『孟子』)
の1つに
『中庸』
とあるように、
バランスが取れていることは
生きていくうえで非常に重要です。
「与える」
という行為と
「受取る」
という行為のバランスが取れている方が
幸せな方のように感じています。
「労せず」
にたいして
もっと自己評価を高めることが
大切なのかと思う次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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【本日の視点】
■労せずにたいしてもっと評価を行う
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