視点提供録 vol.721:尖っていると目立つけど、尖っていなくてもいいのかもしれない

皆さまは、食べ物の好き嫌いは多いでしょうか。

私は少なくはありません。

ただ、「美味しい、何回も食べたい」「美味しくない、もう食べたくない」というものはほとんどありません。

感覚的な割合ですが、「何回も食べたい」と思えるものが5%ぐらい。

「もう食べたくない」と思えるものが5%ぐらい。

「どちらでもいいかな」と思えるものが残りの90%ぐらいという感じです。

いろいろな方と食事をしていても、他の方が「美味しい」「美味しくない」と思っているものにたいして、私は「そうかな?」と思うこともしばしば。

「味覚疎いのかな」と思っています。

 

また、食べ物に限らず、何かにたいして心が動いたり熱中したりしている方はいいな、と思います。

たとえば、特定のアーティストを応援していたり、ゲームにはまっていたり、研究できる対象がある方はいいな、と思います。

こういうものを持っていない方とこういう話になることもあります。

尤も、いいことばかりではなく、視線が特定の分野に偏ってしまうデメリットはありますが・・・

ただ、時間とお金を異常なまでに投入できるものがない身からしてみると、うらやましい限りです。

 

また、この現象は人付合いでも起きていることに氣がつきました。

他の方にも言われたのですが、特定の誰かに肩入れをすることがなく、公平に接するようにしていたと思います。

その分、付合いが薄くなりがちで、広く浅くの感じは氣になってはいました。

 

ただ、あるとき、このことに氣がつきました。

それは、「私自身の運命のテーマがバランスであり、格差とか不公平さではなくバランスを大切にすることが自然にできている」ということ。

何かに突出しておらず、何かほしいと思っていましたが、そもそもそこを目指すというのは必ずしも正解ではないかもしれないようです。

また、本当にエネルギーを注ぎたくなる対象も少なく済むため、多くのものを集中的に投入できるのもいいのかもしれません。

こう考えてみると、必ずしも尖っていることが大切ではないのかもしれませんね。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました !

 

 

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