視点提供録 vol.637:改めて、生き方を自問してみてはいかがだろうか

今日は、生き方にかんして問われる1日でした。


たまたま読んだ高校生がいじめで自害した記事。

能力以上の仕事を与えられながら、相談する人がいない完全なるキャパオーバー社会人の自害の記事。

日本人はオキシトシンやセロトニンといった幸せホルモンが不足している人が非常に多いという話。

周りで聞こえてくる自分が悪いのか相手が悪いのかわからない会話をしている人々。

ときどき思い出されるクイックレスポンスを求められる超高速化社会。

そして、日々の生活を送れることに感謝することがテーマの日であること。

ストレートに表現すると、いろいろな分野に於いて、

「周りが普通で自分が優秀なのか? 自分が普通で周りが非優秀なのか?」

と思うことがある。

前者の状況で周りに自分に追いつくよう求めると求めすぎになるが、後者の状況で周りに自分に追いつくよう求めると当たり前になる。

サッカーで例えると、プロサッカー選手が日本代表を目指しているが、チームメイトに日本代表を目指すよう求めるのは求めすぎ、新人にプロレベルを求めるのは当たり前、という感じだろうか。

実際、アマチュアレベルが集まったところでプロではない。

プロとして活動したいのならば、プロレベルにならなければならないだろう。

ただ、日本国憲法は25条にこのような条文がある。

「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある」

簡単に言えば、最低限の生活は保障されています、ということ。

現金レベルで言えば、ベーシックインカムということではないだろうか。

そうすると、最低レベルというものがなくなるのかもしれない。

10歳のとき、

「仕事の時間をいい時間にしたい」

と思い、社会人になって2・3年のとき、

「すべての人が仕事の時間がいい時間になればいいのでは?」

と思い、ときどき

「世の中からお金がなくなったらいいのでは?」

と思うこともある。

どういう形が最善なのかわからないが、自分自身が、日本が、そして世界が、どのような生き方がいいのか考えてみることも大切だろう。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

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