人生において、自分より細かい人が現れることは一生ない、とは言い切れないだろう。
こういう人と出会ったとき、大雑把な方から見ると
「うるさい」
「面倒」
と思うかもしれない。
ただ、細かい人は本当にうるさくて面倒な嫌なヤツなのだろうか。
「細かい」
を言い換えると
「氣を配れる」
と言えるのではないだろうか。
「氣を配れる」
とは
「相手のことを考えている」
ということではないだろうか。
(私ができているかどうかはさておき・・・)
もちろん、100%正しいわけではないが、細かい人ほど相手・周囲のことを考えている・氣にしている傾向にあるのではないだろうか。
そして、大切なのが
「そのレベルで細かい人がいる」
ということではないだろうか。
たとえば、見込み顧客の方が自分よりも細かければ、お客様になりにくいのは想像に難くないのではないだろう。
もちろん、こういう人はお客様ではないと割り切ることもできる。
ただ、そうすると、現在の自分と合う人しか寄らなくなるだろう。
この選択肢も悪い選択肢ではないが、できることならば、いろいろな人と上手に付合いたいものではないだろうか。
また、
「景氣」
と言うが、
「景金」
という言葉はない。
つまり、景氣がいい( = お金がたくさんある)状態になるためには、氣を配れるかどうかだ。
特に、現在の日本は全体的に物質的に豊かであるため、1人1人に合わせた( = 相手のことを考えた)対応がより求められるかもしれない。
では、細かい人間を排除するとどうなるだろうか。
おそらく、企業で言うならば、継続しないだろう。
大雑把で自分中心の企業が続くとは予想しにくい。
もちろん、細かいと前に進みにくいという弊害もある。
ただ、
「そのレベルで細かい人がいる・氣を配っている人がいる」
ということは意識しておいて損はないと思う。
自戒を込めて・・・
最後までお読みいただき、ありがとうございました!